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医学部教授による出張講義録(1)

救命救急医療は最大の社会奉仕である

インタビュー

2015.12.8

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 本ホームページの「ドクターインタビュー」で救急医療の現場での現状や直面するさまざまな問題点などについて語って下さった三重大学医学部附属病院・救命救急センター長の今井寛教授は、ここ数年来、三重県内の高校で医学部や医療関連学部を志望する高校生に向けて出張講義を行っている。

 多忙な毎日のなか、今井先生は救急医療の新たな担い手を一人でも増やしたいとの思いから出張講義を続けていると話す。

 今回は、今井先生が今年10月に三重県立津高等学校で行った出張講義の模様をレポートする。

 津高等学校での出張講義は、まず高1・高2生の医学部をはじめとする医療関連学部の志望者を対象に90分間にわたり、数多くのスライドを使って行われた。

 その後、医学部を目ざす高3生約10名との質疑応答が三重大学医学部1年生の3人の医学生を交えて繰り広げられた。




 出張講義が始まる前、参加した生徒たちはどんな講義がはじまるのか期待と緊張に包まれていた。

 少し張り詰めた空気を和らげるため今井先生はまず、嵐の櫻井翔さんが主演した映画『神様のカルテ 1、2』をはじめとして、これまで数多く手がけてきた医療現場を舞台とする映画やテレビドラマの医療監修の話を始めた。

 生徒たちもよく知っている俳優たちに収録の現場で、本物の医師や看護師らしく振る舞うためにどのような指導をしたか、数々のエピソードに生徒たちは興味津々の様子だ。

 そして、その後、出張講義が始まった――。



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医者はものすごく辛い仕事です


 まず最初にこの言葉を紹介したいと思います。

 これは日本で初めてバチスタ手術を行った、須磨久善医師の言葉です。

 須磨先生は心臓血管外科が専門です。心臓に何らかの重い疾患がある場合、多くの場合、手術で治療をしますが患者さんの命に直接かかわる手術がとても多い。

だから先生は、長年、心臓血管外科医として働いてきて、たくさんの人の死に立ち会ってきました。さらには、自身が治療した患者さんが後に亡くなる事もあります。

 そういった意味で、多くの医師は日々の仕事を行うにあたり、多くの死と直面していることをまずは知っておいてほしいのです。





 バチスタ手術とは、心臓の筋肉の細胞の性質が変わって心室の壁が伸び、心臓内部が肥大する難病である「拡張型心筋症」を治療するための手術。正式には「左心室縮小形成術」と呼ぶ。

 バチスタ手術が行われる以前は心臓移植するしか「拡張性心筋症」の治療方法はなかった。

 本手術をモチーフにした長編小説『チーム・バチスタの栄光』(海堂尊・著)はベストセラーになり、その後、ドラマ・映画化された。




医師に求められるいちばんの資質ってなんだろう


 さまざまなことがきっかけとなり自分自身の意思で医師を目指す人が大半だと思いますが、なかには「親になれと言われたから」、「成績がよかったから……、でも、考えてみたら医者じゃなくてもよかった」という医学生がいるのも事実です。

 しかし、こういった動機で医師になった人は、医師となった後、自分の仕事を楽しむことができず、辛い人生になります。一方で、みなさんも、そんな医師に自分や家族が病気やケガをしたとき診てもらいたくはないでしょう。

 医師を目ざすのであれば、何より人の命を助けたい、人のために貢献したいという気持ちを持って欲しい。実際、私たち医師は、自分が診療した患者さんの病気やケガが全快して、患者さんや家族のみなさんの喜ぶ顔を目の前にするとき、もっとも幸せと感じます。

 では、医師に求められるいちばんの資質とはなんでしょう。

 とりわけ実際に患者さんの治療を行う臨床医は何科の医師であっても、他人の痛みを感じられること、それに真摯に手を差し伸べられることだと思います。勉強ができること以上に、こういったことが求められます。

 さらに臨床医は人が好きということがとても重要です。人が好きだからこそ、目の前で苦しんでいる人の役に立ちたいという気持ちになれるからです。



医師とは科学者であると同時に職人でもある

 自分自身がこれまでたどってきたキャリアについて少し話をしておきます。

 私は埼玉県出身で約30年前に北里大学医学部を卒業後、北里大学の胸部外科(心臓や肺、大動脈の疾患を専門とする診療科)の医局に入りました。

 当時の外科系の医局はどこも体育会系クラブのような空気があり、先生や先輩からの命令は絶対で、何かを命じられると「はい」と「すみません」しかありませんでした。

 
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 当時を振り返ると、その世界は、ある意味、科学者であると同時に職人たちの世界でした。

 若く、まだ腕も知識も未熟だった私は、とにかく上の先生の真似をやるだけ。毎日、集中治療室(ICU)に泊り込む生活が続きました。

 当時、私自身、さまざまな肺の病気で苦しむ大勢の患者さんを目の当たりにし、新たな治療法がないかを暗中模索していました。

 30歳を目前にした頃、人工肺の実用化の研究を通じて、苦しむ患者さんに少しでも役立つ研究ができると希望に満ちて渡米しました。2年間、一生懸命、研究を続けましたが、残念ながら人工肺が実用されることはありませんでした。

 そして帰国後、大学病院に行くと、今度は先生からいきなり「明日から救命救急科に行け」と言われました。これまでやってきたことはまったく違う診療科なので、まさに青天のへきれきです。

 しかし、「ノー」という言葉はありません。翌日から私は北里大学救命救急センターに勤務することになりました。そして私は救命医として一からのスタートを切ることになったのです。


 その後、今井先生は約17年間、北里大学病院救命救急・災害医療センターに勤務。同センターは神奈川県北部の相模原市にある。同センターが年間で受け入れる救急搬送される患者数は現在、約2000名にものぼり、診療の質・量ともに全国でもトップレベルの救命救急センターとして知られる。

 今井先生は救急医療のプロフェッショナルである救命専門医だが、救命専門医とは「病気、ケガ、やけどや中毒などによる急病の方を診療科に関係なく診療し、特に重症な場合、救命救急処置、集中治療を行うことを専門とします」と定義されている(日本救急医学会)。




今井 寛先生・プロフィール
三重大学医学部附属病院 救命救急センター長・教授
埼玉県出身。1984年3月 北里大学医学部・卒。同年4月 北里大学病院胸部外科に入局。
その後、胸部外科医になるべく、榊原記念病院、大和成和病院、北里大学病院で研修。
その後、アメリカへ2年間の留学後、北里大学病院救命救急センターに所属。
2011年1月より現職。
日本救急医学会指導医・専門医、日本集中治療学会専門医。
2014年・春に公開された映画「神様のカルテ2」の医療監修者でもある。


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