「文字として書かれたもの」全てが研究対象
書かれたものと人間がどう付き合ってきたかを考える

《国立》北海道大学 文学部 教授
金沢 英之(かなざわ ひでゆき)先生
1968年、東京都生まれ。東京大学卒業後、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程中退、博士(学術)。東京大学助手、札幌大学准教授を経て現職。専門は『古事記』や『日本書紀』をはじめとする上代文学。文学部では国文学の授業を担当する。著書に『宣長と「三大考」』(笠間書院)、『義経の冒険』(講談社)。
文学とは、どのような学問でしょうか?
高校生の皆さんにとって、文学は特定の作品や作家の生涯を研究する学問というイメージかもしれません。もちろんそうした側面もありますが、文学が扱うことはそれだけではありません。文学で研究するのは「文字として書かれたものと、人間がどう付き合ってきたか」です。
普段は気に留めていないかもしれませんが、文字で何かを書くことは、ほかの生物にない人間だけの特徴です。私たちは生まれた瞬間から、文字に囲まれて生活しています。そして文字で書かれたものは、筆者が亡くなった後も残ります。Twitter で何気なく書いた文章が、筆者の死後に誰かに影響を与えるかもしれない。たくさんリツイートされて、100年後も残るツイートになるかもしれません。
つまり文字で書かれたものは、人間の内側ではなく外側にあるということです。人間から独立して存在している文字の世界と、人間がどう付き合ってきたかを研究するのが文学なのです。文学作品も、SNS に書かれた文章も、文字で書かれたものは全て研究対象です。
文学部で学べるほかの学問と、文学の違いや共通点も考えてみましょう。たとえば歴史学は、歴史書という書かれたものを扱う意味では共通しています。しかし歴史学が重視するのは物事の事実関係なので、この点は文学と異なります。考古学や民俗学は、実際に作られた過去のものや口で伝えられた話を扱うため、文学とは遠い分野のように思えます。とはいえ、それらを研究する際には文章にして論じる必要があります。その論文は「文字で書かれたもの」です。文学部で学べる学問には、多かれ少なかれ文字で書かれたものを扱う側面があるのだと思います。
金沢先生の研究内容を教えてください
奈良時代に書かれた『古事記』や『日本書紀』の研究が専門です。作品自体の研究と、これらの古典がその後の時代でどのように理解されていたかを研究しています。古典を読むと、当時の人々がさまざまなことをどう捉えていたのかがわかります。内容的には神話も含まれますが、神話からは「当時の人々が、この世界の成り立ちをどのように考えていたか」が読み取れます。
過去の書物に書かれた物事が、本当に起きたことかどうかは、現代の私たちにはわかりません。ただ、一度書かれたものには権威が生まれます。後世に残るのは書かれたものです。そしてそれをもとにして、後の時代の歴史や文化が生まれる。書かれたものが人間に与える影響はとても大きいのです。
たとえば『日本書紀』は、後世に作られた注釈がとても多い。注釈を調べることで、時代ごとに作品がどう理解されていたかがわかります。それぞれの時代の世界観とでも言うべきものが見えてくるのです。例を挙げると、中世は仏教的な世界観の時代です。現代とは全く違う世界だったことが、注釈の研究からわかります。
金沢先生が文学研究の道に進んだきっかけは?
大学院の修士課程までは、理系の生態学を専攻していました。修士の2年間で合計200日間ほど船に乗り、太平洋を北から南まで移動する生活。海水を採取し、どのような微生物がいるかを顕微鏡で観察したりしていました。
生態学を学んだのは、生き物だけでなく、それを取り巻く環境にも興味があったからです。海の生き物でいえば、海水の温度や光の差し込み具合なども含めて研究の対象でした。
しかし次第に生物一般ではなく、「人間とその周りの世界との関係」に関心が絞り込まれました。文化の側面からそれを考えたくなり、文系の修士課程に入り直しました。そこで『古事記』を扱うゼミに参加し、レポートを書いたり、先生からテーマを与えられたりした結果が現在につながります。最初から古典の研究をやろうとして、文学の道に進んだわけではありません。
どんな人が文学部に向いていますか
受験生の皆さんにとって文学部は、入学して何をするのかがわかりにくい学部だと思います。同じ文系の法学部や経済学部と比べて、学んだことが将来何の役に立つのかが見えにくい。
率直に言えば、将来会社に入ってやりたいことが明確な人は、文学部に入る意味はあまりないかもしれません。しかし、「何か好きなことがあって、大学生活でそれをとことんやってみたい」という人には文学部が合っています。
皆さんはあまり実感がないかもしれませんが、やりたいことに徹底的に打ち込める期間は、人生の中ではほぼ大学生活しかありません。多様化していく現代で最終的に残るのは、好きなことを徹底的に追求できる人です。文学部ではそれができます。
まだやりたいことが決まっていない人にも、さまざまな選択肢がある文学部はお勧めです。文学部の魅力のひとつは、多様な分野の学習ができること。北海道大学文学部には、文学はもちろん、外国語や宗教を学んでいる学生もいます。心理系の学問を専攻する学生もいれば、映画や探偵小説を研究している学生もいます。幅広い分野の研究者が在籍しているため、研究者同士で交流できるメリットもあります。
文学部で身につけられるのは、「自分で考え、判断する力」です。現代は Twitter などで簡単にフェイクニュースが拡散します。この傾向はこの先も変わらないでしょう。ただ流されているだけでは生きていけない時代だからこそ、何をすればよいのかを自分で考え判断する力が必要です。そして、その考えの根拠を調べる力。これは生きていくうえでとても大切な力です。
受験生にメッセージをお願いします
大学でいかに学ぶかという点で、受験生の皆さんには「自分の外にあること」との出会いが一番面白いということをお伝えしたいです。私の専門分野でいうと、『古事記』や『日本書紀』がそれぞれの時代でどのように理解されていたかの研究を通じて、その時代の人々の考え方がわかります。昔の人々の考え方は現代とは大きく異なる。この出会いに研究の面白さがあります。
せっかくさまざまなことを学べる環境があるのに、自分の中にあるものを確認するだけの学習ではつまらない大学生活になってしまいます。自分の中にそれまで無かったものや人と出会うことで自分自身を広げ、成長する大学生活にしてください。文学部にはそんな出会いがたくさんありますよ。