多田 麻理佳 さん
東京大学/教養学部/超域文化学科/比較日本文化論専攻/4年生

・東京都・私立 豊島岡女子学園高校/出身
 (浪人時代は、予備校を利用)
 
 
いつ頃から本格的に「受験勉強」を始めましたか?
「東大」に行こう、と決めたのはいつですか? また、そのきっかけは?
大学に入ってからと、高校時代に思っていた「学びたい分野」に対する変化…というのは?
多田さんの「不得意科目」は…? その克服法は…? 
浪人時代、「予備校」はどのように活用されましたか?
「浪人」を決めた人へ… 
予備校時代の"恩師"の八柏先生にも加わっていただいて、お話を伺います。「日本史」の八柏先生とは、どんな先生でしたか?
受験に関して、八柏先生の指導面での影響は…?
「日本史」の勉強法を教えてください。
「模擬試験」の効果的な活用法があればお教えください。
最後に、後輩・受験生たちに一言「受験勉強」のアドバイスを…。

いつ頃から本格的に「受験勉強」を始めましたか?
高2の冬(お正月が終わった頃)には"意識"し始めましたね。新聞にその年の入試情報とか受験情報が載り始めた時期ですね。意識をして「やり始めなければ…」という感じになりましたし…。
結果的に私は「浪人」したんですけど、現役の高3の時は、苦手科目の克服のために週に2日、塾に通っていました。英語・数学・国語、高3の2学期からは社会を1教科です。
クラブ活動を高3の11月までやっていたので、高2の夏から始めた…なんていうクラスメートとは、歴然とした差がありましたね。部活と塾の勉強、家での学校の勉強…と、当時はかなりハードで、睡眠時間は削られる一方でした。ただ自分が好きなことを最後までやっていたおかげで、、後ろ向きな後悔をせずに浪人も迎えることがでました。
数学と理科は学校の授業中心に必死でやりましたね。(教科書の内容を把握・理解できていれば大丈夫と思っていました)進路別クラスの選択の時に、高2で「理系クラス」、高3で「国立・文系クラス」にしたのは、そのためでもありましたね。
基本的に文系にとって数学、理科は学校での授業ができないことには、始まらない、という気持ちで、学校の教科書と問題集をマスターできるように心がけました。学校をおろそかにしないことで、塾に通うなどの新しい負担を増やさないようにしました。


 
「東大」に行こう、と決めたのはいつですか? また、そのきっかけは?
東大しか考えていなかった…というか、現役の時は東大一本の受験、しかも「前期」のみ、という無謀な受験でした。
「国際関係論」を大学で学びたい、というのが原点の希望としてあって、他大学もいろいろ調べたんですが、当時は本格的に学べるのは「東大」しかない…ということで…。親も、国立ならお金が出せるぞ…ということでしたので。
恵まれない子どもたちに、何か自分で貢献できることはないか…というのが、進学・学部選びの原点にありました。
今から考えると、いろいろ進む道は他にもあったと思うのですが、高校生の限界というか、高校時代は「貢献」=「国際関係論を学ぶ」というストレートな考えしか思いつかなかった…というのもありますね。「国連」とか「ユニセフ」とか…。
いざ、大学に入って、いろいろと学ぶと、また、その先の進路って変わってきていますけど…。
ただ総合大学に入学できたことが、本当にやりたいことを見つけた際にも対応できて、よかったと思いますし、まだ何がやりたいか決まっていない方にとっても選択の余地を残した学校選びも必要なのではないかと思います。


 
その、大学に入ってからと、高校時代に思っていた「学びたい分野」に対する変化…というのは?

「国際関係論」はゲーム理論的な導入だったので、イメージはだいぶ違いました。
たまたま、工学系のカリキュラムで限られた条件の中でモノを作る「有限設計」というワークショップの授業を受けるきっかけがあったのですが、そこでは=パスタ1袋、ビニル袋、1メートルの布を使い、テープでそれぞれを接続させて、スタート地点からどのくらいまで距離を伸ばせるか考えなさい…といったエクササイズをもとに何かものを作っていました。エクササイズやブレーンストーミングなどを通じて人がいかなる状況においていい発想を行えるかを考える『設計工学』に出会ったわけですが、これは私自身"美術"には興味があったこともあり、何か実質的な学問でしたし、人が何かを考えて行動を移す…というプロセスの中で勉強できるということに、はまっていきました。
ボランティアであったり、NGOであったり、実質的に動いている運動も見てきて、国際関係論という学問を極めなくても、別な手段があるんじゃないか…と目覚めて大学時代にやりたいことは、そちらの方へ流れて行きましたね。
東大だと、内閣総理大臣になるぞって真顔で言う人もいますし、外務省に入って国のために働くって"宣言"しちゃう人も少なくなんですが、私としては、もっと地に足のついた行動をしたい、そのための"何か"を学び取りたいっていう気持ちが強かったですね。


 
多田さんの「不得意科目」は…? その克服法は…?

国語、日本史、地理…この3科目は、苦手でしたね〜。中学校以来、興味が湧かなかったというか…。
ここが弱くて、そのためにはこんな勉強をしなくてはいけないのか…と分かって取り組み始めたのは、浪人して予備校(代々木ゼミナール)に通ってからです。
予備校の日本史の先生(八柏先生)から、「問題に対しては"解答を書く"のではなく『文章を書く』というスタンスが大切なんだ」と投げかけられたのが、不得意科目に真剣に向き合えるきっかけになりましたね。記述式や論述式の問題なんかは、まさにそうですもんね。
予備校以外では、国語はZ会のテキストを使っていた時期もあります。地理は、帝国書院の図解資料集です。これはある意味素晴らしい「教科書」でした。
私は、予備校のテキストでも、どんな参考書や問題集でも、必ず最低3回はやる…というのを自分のルールにしていました。言い方は古いですけど、ボロボロになるまで使うってことですね。「苦手」ではなかったですが、数学にはこの方法は効果的で、最初は意味が分からなくてもとにかく解き方を覚えよう…そして3回やっていくうちに覚えるようにしていました(ちなみに数学はチャート式も3回、解いた日付を書き込みながらやったことが、数学の基本を作ったといえます。)。他の教科でも全部同じ方法で…、1回目は長く時間をかけても、2回目、3回目は短時間でできるようにするトレーニングを身に付けました。


 
浪人時代、「予備校」はどのように活用されましたか?

平日は毎日、予備校は(さぼらず)最後の授業まで真剣に受ける…というのをポリシーにしていました。謙虚にやろう、と思っていましたし…。
浪人時代も高校に通っているのと同じように考え、3月から、朝はきちんと9時までには予備校に行って…という生活習慣を身に付けて、家に帰ってからは午後6時から5時間くらい勉強してました。(本番の試験が近づいてからは、朝・6時には起きて…というスタイルをとりました)
このことによって、妥協がなくなるというか、自分に対する甘えをなくすというか…そのように考えて行動してましたね。
浪人時代の「モチベーション」の維持ということについては、予備校に行っても(行ってるだけじゃなく)予習・復習は必ずやる…という『当たり前のこと』を『当たり前にやる』というのが第一ではないでしょうか。受験に向かって、やるべきことの第一歩としては、これぐらいのことを守れなくて受かるワケないという、プレッシャーを掛けるという意味での「約束事」を奢らずに守っていくことです。



 
「浪人」を決めた人へ…
合格発表の後、受かった人は大学からもらった入学届けの書類の入った封筒を持って帰るじゃないですか。自分が合格できなかった年は、逆にそれが励みになりましたね。あの映像は頭にこびりついていて、「来年は自分ももらってやる!」ってイメージを作るのに役立ちましたね。
でも、いざ自分が合格したときには、わざわざ他人に見えるように持つ必要もないので、自分のバッグにしまって帰りましたけどね…。
結局は自分がどれだけの欲望を持てるか、その欲望に対してどれだけ努力できるか、そのために何かを捨てられるか…ということを真剣に考えましょう…ということかな。
もっと欲しい、もっと上を目指したい。もっと力をつけたい、という努力をしてほしいですね。自分を支えてくれている家族や友人のことを思い出し…そんな、まわりを見る余裕を持ちながら…ですけど。



▲八柏先生と‥
ここからは予備校時代の"恩師"の八柏先生にも加わっていただいて、お話を伺います。「日本史」の八柏先生とは、どんな先生でしたか?
多田》第一印象は怖かったですよ〜(笑)。サテライン中継もする授業でしたから、カメラをにらみ、教室の生徒もにらみ、厳しい表情でしたから…。
「道場」って感じの授業でしたね。でも、先生を慕う人たちの組織『新人会』っていうのがあるんですけど、この会には毎年・恒例の「高尾山ハイキング」っていうイベントが春に開催されるんですよ。そこで、過去10年以上も前に先生の授業を取られた大先輩から来年受験をする現役受験生までが参加するんですね。「新人会」自体は200人を超える組織なんですが、このハイキングにも70人以上が参加するんです。受験生が30人前後、「八柏道場」のOBが40人程度ですけど。授業以外にこんな触れ合いが「予備校」であるなんて思いもしませんでしたから、新鮮でしたね。先生の別な表情も見られましたし…。
八柏先生》「新人会」っていう組織やハイキングは、『心と体を鍛えよう』という狙いから始まったんです。
「大学受験」はあくまで"通過点"で、その先の大学生活や社会生活があるわけだから、受験という1点だけに受験生を追いやる…ということはしたくなかったからなんですよ。
試験に通りさえすれば良いっていう考えは嫌なんです。
ハイキングにしろ、「新人会」の集まりにしろ、大学生の先輩たちが"熱く"語るわけですよ。昨年1年間悪戦苦闘したヤツが後輩の受験生たちに偉そうに(笑)話すんですが、そういったOBにも、聞く受験生の方にも、いい機会なんですね。受験生たちが"変われる"というか…。いろんな先輩たちの「合格体験記」がナマで聞ける機会にもなってるんですね。(新人会なんていう組織にOBがいない時期は、すべての先輩はオレ《八柏先生》だ!って自分が語ってましたけど、だんだんOBとしての大学生が増えてくると、いろんな人のいろんな話が出てくるんで面白いんですよ)
ちなみに、多田さんは皆勤賞で、浪人時代から今年までずーっとOBとして参加している数少ない人間です。後輩にも慕われて…怖がられて(笑)いますよ。
多田》先生、なにもこの場でそこまで言わなくても…(爆笑)



 
受験に関して、八柏先生の指導面での影響は…?
多田》ただの受験勉強ではなくて…、書く(文章をもって相手に意見を伝える)という力を身に付けなくてはいけない、ということを学びましたね。
授業の課題で、添削指導をしてくださるんですけど、どんな添削をされて返ってくるのかが、怖くもあり、楽しみでもありました。
通常の「日本史」に関しての課題以外に、毎週「お題」も出るんですよ。「何故、大学に入りたいのか?」とか「最近の女子高生について」とか…。締めきりの1週間先まで必死に考えるんです。その部分の延長が、受験のときにも役立ちました。どんな課題が出題されても『自分の思考回路』を作っておくと、短時間に答えなくてはならない試験場で、とっさに反応していくための"力"となって現れてきますよ。
ある意味では、受験のためのテクニックを学び取る場所が予備校であり、予備校の先生との接点なんでしょうけど、八柏先生は、クラスの受験生一人一人の顔と名前と考え方を覚えてくださっている…みたいな感じがあって、「学校の先生」でもあり、テクニックを教えてくださる「予備校の先生」でもある…という感じですね。そういったことは稀有だと思うので、ありがたかったです。
また、高校で学んできたことでありながら、角度も深さも面白さも全く違う…というのが予備校の授業ですね。特に、八柏先生の授業は「日本史」を講演のように語ってくださるのを学んでいる、というのが、入試にも役立ち、大学に入ってからの知識にもなっていました。受験のテクニックとしてだけの授業だったら、きっと大学に入ってからの「知識」としては残っていなかったと思います。


 
「日本史」の勉強法を教えてください。
多田》年号とか事件の暗記だけじゃなくて、発想の着眼を歴史上の「ヒト」に持っていくと、想像力も働いて面白く学べますし、歴史を一つの流れとして捕らえることができ、思考力も身に付くと思います。
こんなふうにやると、入試でピンポイントの知らないこと(記憶に抜け落ちてしまったこと)を問われても、解答を埋めていくことができるんですよ。
人間くさい「日本史」を想像していくことが大切で、そうすると入試にも、その先の自分の「身に付いた知識」の養成にも、役立つこと間違いなしです。
私も偉そうに言ってますけど(笑)、八柏先生の「日本史」の授業を取らなかったら、こんなことですら、気付かなかったと思いますね。
八柏先生》基盤のないところで夢(大学合格)だけを考えている受験生にとっては、僕の授業は、ただ厳しくてツラい授業だと思いますよ。
ただ、東大クラスや私立の難関大学を狙って合格を勝ち取ろうと思ってる受験生は、僕の授業のレベル程度のことはできないとダメ。
受験のための入試問題(振るい落とす問題)というのも存在しますけど、東大なんかは、大学に入ってから「東大生」としての肩書きを持つ学生をとるための出題の仕方をしますから…。つまり、東大生になるんなら、この程度のことは理解していろ…という出題ですよね。
例えば、慶應義塾大学の英語の入試問題なんかも、実際の大学2年生の使うテキストレベルの問題を出したりしますから…。
「知識」は、ヘタをするとどんどん忘れられる……「記憶に残る知識」は『書く』ことによってのみ得られる、ということを頭に叩き込んでほしいですね。
特に「日本史」は、「日本人の歴史」ですから、論述問題では"生半可"な知識では太刀打ちできないんですから…。



 
「模擬試験」の効果的な活用法があればお教えください。

多田》「模擬試験」も「テキスト」の一つ、と考えていましたね。
どこで自分がつまずいたのか、別の考え方をすれば良かったとすれば、どんなふうに考えれば良かったのか……このへんを見直すことを心がけました。
さっきの「問題集」の話の繰り返しになっちゃいますけど、模試も「テキスト」と考えて、同じように3回はやり返しました。
こんなふうに考えてやったのも浪人時代であって、現役のときは「受けなきゃ」「受けました」「合格可能性判定は…」という利用の仕方しかできませんでしたね。現役の時からこうやっていれば、八柏先生のキビシーイ授業も受けなくて済んだかも(笑)、あ、でも、そうだったらこのページに登場してることもなかったですね〜(笑)
「テキスト」として模試を考えていたから、センター試験前の最後の模試で、東大は確か『D判定』でしたけど、あまり気にならなかったですね。
八柏先生》11月頃に行われる模試で成績上位にくる受験生って、「模試慣れ」してる受験生が多いんですよ。予備校の模試の出題パターンを把握してしまった人が「A」とか「B」の判定を得ていて…。実際の合格者が低い判定だった…なんて例は結構多いんですよね。模試自体を否定することは全くないけれど、多田さんが言ったように「可能性判定」はあまり気にする事はないんじゃないのかな。
論述記述問題に関して、予備校の多くは加点式といって、該当する事項が書けていれば点数を出すという形にしています。
でも、大学の多くは、大学教員以外に採点させていませんから、当然、事実誤認があったり、意味が通じなかったりすれば、事項云々ではなく、作文として成り立たない以上、バッサリ、0点にしてしまう可能性が強いわけで、模試の点が高いといって、それが必ずしも本番における実力とはなり得ないことを、肝に銘じておいてほしいですね。



 
最後に、後輩・受験生たちに一言「受験勉強」のアドバイスを…。
多田》ひたすら『書く』トレーニングを心がけましょう…ってことかな。
数学にしても、国語にしても、例え「答え」が分かっていても、とにかく『書く』ことです。手を動かすことが習慣となって、本番でも落ち着いて書くことができますから。
私は、いらないプリントやコピーの裏にガンガン書きまくって、書いたら段ボール箱にタメていってました。それが密かな楽しみになってもいました(笑)。これも一つの「達成感」かなって思いますね。自分はこれだけやっているんだ…という自信もついたし。
あと、模試にしても本番の入試にしても、できそうな問題から「確実に」解いていくことです。もう二度と見直しできない、という覚悟をもって解くことで、集中力を高めることにもなりますし、ミスを減らすことができます。
これから、まだ入試を控えてる人も、来年受験をされる方も、自分自身とよく向き合って、自分自身のために、頑張ってください。


多田さん、八柏先生、本日はありがとうございました。